8/17 豊中市には28年前からホームスタートがありました!

だいぶ古い写真ですが、
大阪府豊中市の障害児母子通園施設
「あゆみ学園」に通っていた時の園庭での様子。
今は、単独通所に変わってます。時代は流れてます。

27年前既に、インクルーシブ遊具がありました。
背もたれ付きのブランコ。
二人で乗れる自転車。
座ったり、立ったままでも遊べる高さが工夫された砂場。
今、全国的にやっとインクルーシブ公園ができていますが!

施設内の階段の手すりには点字があり、点字ブロックはもちろん、エレベーターにも点字があり音声付きでした。ユニバーサルシートもありました。

5階建で入り口が二つに分かれていて、あゆみ学園と高齢者のショートステイもある複合施設でした。
屋上に温水プールとその下の階には高齢者の方々の温泉施設も併設されてました。何だか今考えてもすごい進んでる福祉施策だなと実感。

息子は出産時羊水を飲んでいたため、肌は赤紫色でチアネーゼも出ていて産声を上げず、そのまま保育器に入れられ、緊急搬送されました。
吐くばかりで息を吸えない為、大きなお釜のようなところから濃度の高いエアーを浴びて酸素を補給。もちろん母乳は飲めず、鼻から胃までチューブを通して注射器でミルクを10ミリを長い時間をかけて摂取してました。夫が毎日写真を取り成長を見せてくれたのでわかりました。母乳を搾り夫が入院先にせっせと運んでくれましたが、黄疸も出ていたので初乳も飲めない状況だったことが後で分かりました。

退院時に告げられた染色体異常21トリソミーダウン症の宣告。ショックすぎてどうやって帰ったかの記憶はほぼないです。

退院してからも中々母乳が飲めず、すぐ寝てしまいます。しっかり飲めるまで3ヶ月を要しました。帰省できる許可がやっと出て。豊中市に戻ると留守電が10件。すべて保健所からでした。
母親学級で話をしてほしいとの依頼でしたが、実は息子がダウン症との宣告を受けましたと話すや否や、その日に保健師さんが来訪。詳しく話を聞いてくださり、傾聴に徹していました。心からありがたい方だと思いました。
次の日からは、ダウン症の姪御さんがいる保健師さんを
向かわせてくれました。重ねて有り難い配慮でした。
ちゃんと育つことを示してくださいました。
親子丸ごと救われた気持ちでした。
28年前に既にホームスタートがあった豊中市の障害児支援
体制の速さに驚きです。

保健師さんが作ってくれたダウン症を育てる親子サークル「ポッポの会」に参加。
心臓疾患を持って生まれるのもダウン症の特徴の一つです。その時点で二人の方が子どもさんを亡くされていました。短命と言われる理由はここにあるんだと思えた時でした。

児童発達支援の多様な障害児の小集団の教室に通う中、あゆみ学園へと進みました。無理なく選択できる道筋がありました。

私は、東村山市と豊中市を比較できることで、ここがおかしいと言える根拠があるって大事なことですし、言葉に嘘はないと思えます。

一緒に写るママ友とは、今も年賀状でつながってます。
同じ悩みや困りごとを話し合える仲間が居たから、乗り越えられたなあと振り返る日々です。そして、今がある!
積読の本を整理する中、昔の写真も片付けながら見つけた一コマでした。
#豊中市あゆみ学園 #21トリソミーダウン症 
#染色体異常 #インクルーシブ遊具 
#ホームスタート #ユニバーサルシート
インクルーシブ教育