阪神淡路大震災から20年!

全てのものが倒れて途方に暮れています。ガラス片が多く危険なので靴を履いています。奥の和室に頭が見えるのは息子です。

 

  「阪神淡路大震災」から20年!
      
 私の体験を地域政策に活かします    

 
1995
117日午前546分、淡路島沖を震源とした震度7の地震が発生。
 転勤で大阪府豊中市に住んでいたので親子3人で体験しました。揺れは数十秒でしたが、それまでに経験したことのない激しい揺れにあらゆるものが倒れ、様々な音は今でも耳に残っています。マンションの5階で、あまりの揺れの凄さに「次は天井が落ちてくる!」初めて自分が死ぬかもしれない、でも3人でならいい、と一瞬覚悟した時、揺れがおさまりました。怖くて震えが止まりませんでした。電気が復旧し神戸のあまりの状況に泪が止まりませんでした。
 
息子がまだ12ヶ月だったので生協の共同購入をしていましたが、配送センターは東灘区にあったため火が出て焼けてしまい1週間品物が届きませんでした。全国から品物が届くようになり配送が開始された時、同じ班の皆さんが、すぐに食べられるお菓子や缶詰などを、子どもを抱えた私と友人のところに黙って置いてくれました。「お互い様だから困った時は助け合わなあかんから」と言ってくださり、ほんとに感謝の気持ちで一杯になりました。日頃からのつながりがあればそれは決して特別なことではなく、いざという時こそ支え合うことができるんだと実感できた一コマでした。
 
災害時は「自助」自分の「いのち」を守ることは当然ですが、「公助」は助けが来るまで時間を要します。やはり「共助」お互いをたすけあうことが一番大切だと身を持って分かりました。震源の淡路島で死者が少なかったのは、誰がどこに寝ていたかまで把握していたからと言われています。
 さりげない日常かもしれませんが、日頃から挨拶を交わし、気遣うつながりはお互いの「いのち」を守る何にも勝るものです。
 災害対策基本法が昨年
4月に改定され、自力避難が困難な障がい者や高齢者、乳幼児、外国人ら「要援護者」の名簿を市町村が作ることが義務化され、地域の自治会役員らに提供できるようになりました。しっかりと制度が機能するよう働きかけ、地域で安心して暮らせるまちづくり実現のため、自身の経験を活かしていきたいと思います。

 

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