7/8【障害児も普通学校への闘い】

東京インクルーシブ教育プロジェクト定例会
第一部 「養護学校はあかんねん」
「1979年 養護学校義務化」阻止闘争を知るの
ドキュメンタリーフィルムを観賞。

第二部「康ちゃんの空」の著者長谷川律子さんの脳性麻痺がある康ちゃんを養護学校でなく、普通学校への闘いの日々を伺いました。

正直、養護学校の歴史は学んでいましたが、義務化による反対運動があり、文科省前で座り込みなどが行われていたのは、知りませんでした。

突然、今の形ができた訳ではなく、先人の方々の熱い壮絶な闘いがあったことを知りました。

1979年に養護学校義務化に反対している全障連の方が訴えていることは、時代を予言していて、まさに今そうなっているのです。

「一部のエリートを育てるために、授業についていけない子ども達を障害児を排除」

当時の養護学校は、107条本を一部のこどもにだけ支給し、大半はおもちゃが支給されていたそうです。養護学校の中でも格差があった。
酷すぎる。当時から支給されるものは、平成の今も変わっていない。学習や教育を受ける権利をもっと主張していかなければと感じます。

暮らしの中に身につく力がある。
康ちゃんは、機能訓練がキライ。
療法士に言われると向かないのに、子ども達の動きには、頭をからだの向きを変えて合わせることができた。だから、一緒にいることを当たり前にしたかった。
車椅子に乗ってる康ちゃんを見て、子ども達の発想は無限で新鮮だった。「ウンコする、オシッコする、ご飯食べるの?」質問攻め。

学校側は、障害児を受け入れる体制が整っていないからムリ。受け入れるには、どうしたらいいかの発想がない。これも今もある。

分けるための教育を受けてきた世代が教師になっている時代。入りにくいし難しい時代に入っている。この根源には、優性思想がある。

でも、学校で教わるのは、勉強だけではない。こども集団は、もうひとつの生活の場でもある。出会いがないとお互いの良さに気づけないことがまさに不幸。
「共に学び、育つ」環境にしていくには、諦めずに言い続けること!

「障害者だけではヤダ、健常者とけんかしたりしながら、生きていきたい」
これが、当たり前になるように、私も長谷川律子さんのように言い続けていきます!

私は、何がやりたくて議会に送り出してもらったのか、ここに原点がありました。
迷わず、自分らしくいきます。