「共生社会実現は、内なる差別心と人権感覚と向き合うこと!」

7/26で相模原市津久井やまゆり園で、入所者19人を殺害し、29人に重軽傷を負わせる凄惨な事件から5年が経ちました。

なぜ、障害者は生きる価値がないなどの考えに至ったのか、事件の本質が明らかにならないままでは終わらない、終わらせてはいけないと感じる信じがたい事件です。

私自身も、障害の息子を持つ一保護者として他人事ではないと捉えています。

痛ましい事件により尊い命を奪われた方々のご冥福をお祈りすると共に、ご家族の皆様、そして、未も治療などを受けておられる方々にお見舞いを申し上げます。

津久井やまゆり園は7/27から、改修を終えた新施設での障害者の受け入れが始まるとニュースで報じていました。

被害者の方々への事件後の後遺症としてPTSDなどのメンタルケアも必要だと思います。施設を更に外に開いていくことで、障害を知らないから恐れるのではなく、多様な障害の違いを知り、触れ合うことで、障害者と共に生きる空間となるようにと願うばかりです。

やまゆり園事件を考える時、東村山市には、人権回復と共に差別や偏見を生んではならないと常に心に刻むことができる場所があります。ハンセン病の方々が暮らす国立・多磨全生園とハンセン病罹患者がどのような悲惨な状況に置かれていたのかを知ることができる国立ハンセン病資料館です。

実際は弱い菌で伝染することはないにも関わらず、国策として強制隔離が行われました。無らい県運動まで起こり、ハンセン病ではないのに、密告により誤って隔離された人もいると言われています。

この凄惨な悲劇を生んだのは、ハンセン病を恐れるあまりハンセン病に罹患した方まで差別し排除したことが、取り返しのつかない偏見を生みました。

優生保護法により、不良な子孫を残さないために、入所者の方々に断種手術や堕胎も公然と行われました。人の命を守り救うべき医師や看護師が率先して、生まれたばかりの乳児に濡れた紙を顔に被せ、窒息させ尊い命を殺める行為が繰り返し行われていました。胎児のホルマリン漬けは記憶に新しい出来事です。

こういった誤った負の歴史から学ばないと、差別や偏見はなくならないと私は思います。

人間の倫理観から言っても、優生思想の考えに気づき改めていくことが重要です。どんな状態で生まれてきたとしても、必ず意思や意向はあります。命に格差などなく、生きていることこそが尊い存在だと伝えていくことが、大切なんだと感じます。

目の前に障害のある人や自分と違う異質な人が現れた時、その人の人権を守れるかは、私自身も節目節目で息子達から自然と試され、自身の差別心を突きつけられ葛藤することで結果、磨かれています。

やはり、小さい時から自分や他者の人権を学び合う機会が、学校という空間で公平におこなわれることを望みます。

懸念材料は、学校で特別の教科として始まった道徳では、義務と権利を両天秤にかけ、義務を果たしてこそ権利を主張できるとなっています。

しかし、オギャーと生まれたら、誰もが基本的人権の尊重が憲法で保障されています。権利あっての義務であり、子どもも大人と同じく今を生きる主体者です。

子どもが育つために義務を果たすのは大人です。誤った認識でなく正しい事柄に改善されるべきです。

教える側の人権感覚が問われていると感じます。

元を辿れば、みんなおんなじ人間。

障害は特別ではありません。

人生の途中で障害を負うかもしれないし、必ず高齢になれば、どこかに障害を負う可能性があります。

誰もがその人らしく尊厳を持って暮らせる社会になるように、私自身も内なる差別心と人権感覚を意識しながら、現実から逃げずに向き合っていこうと思います。

#津久井やまゆり園事件
#知的障害 #重複障害 #ハンセン病
#国立多磨全生園 #人間回復 #人権尊重
#優生保護法 #基本的人権