7/15 被災地訪問「高橋徳治商店」(宮城県東松島市)高橋社長のお話しから
3.11東日本大震災 生死を分けたのは、だれなのか、心に刺さる言葉です。
21800人もの尊いいのちが今まで生活にやすらぎを与えていた静かな海が、津波により奪われました。
震災当時生きること、立ち直ることに必死だった中から、今は前を向いて進んでおられる高橋社長の姿に
ほっとしました。
39才までのニート・不登校など様々な理由を抱えている青年達に羽を休める居場所を提供し、無理のない就労支援も行っている。精神疾患を抱えていた子ども達を7名就労につなげることができた。
工場前のスペースにローズマリーやラベンダーを栽培し、香り袋を作り、販売している。今後は補助金も申請し、地場野菜やたけのこの生産で雇用を生んでいく構想も考えている。
経済的には、工場再建には反対の声あったが、石巻町の工場は津波で壊滅的な被害を受けたため、津波にあわない場所を選び、東松島市で営業再開。
売上は震災前の半分、借金は2倍。震災前に売上戻すのが目標。スタッフも変わり、凸凹はあるが、
消費材の品質を追求する姿勢など素晴らしい人達に恵まれている。
工場内も見学させてもらいました。ラインがすべて稼働していなかったので、私たちが食べる約束をすることは、生産者の生活も守っていることを伝えていかなければと思いました。工場の屋根に太陽光を積み、工場内の電気は太陽光で賄っているが、余った電気は、絶対電力会社には、売らないと強い意志を感じました。
工場入口にある人文字の鉄骨。人は、支えあって生きている。一人ではないことも教えています。工場の周辺には、仮設住宅があり、まだ復興は進んでいないことを思い知らされます。物優先でなく、人の命に価値を置き、優先される世の中を求めていると被災地の光景は、静かに私たちに伝えていました。