1/19 NPO法人けやき主催 「ふらここ映画祭」
おもわず2本映画を鑑賞しました。
1本目「もうろうをいきる」
盲ろう障がい者の生き方を追ったドキュメンタリー。35歳の若さでナレーションを自らされている西原孝至監督によるものです。全国で14000人いるとされている盲ろう障がい者。でも、全国盲ろう協会で把握しているのは1000人ほど13000人はどうされているのかとの西原監督の弁。疑問と不安が残ります。映画は全国各地を訪ね、8人それぞれの生き方を丁寧にゆっくりと描いていました。
音と光を失っているのに、コミニケーションツール指文字を楽しそうに嬉しそうに手のひらに書きあうことで、大事な会話を紡いでいました。ハンデを感じさせない動きでみなさん一様に笑顔で地域の一人として生活を営み、幸せに暮らしています。生き方はひとつじゃないな、十人十色。
映画公開前に起きたやまゆり園の事件は、やはり避けられないとの気持ちが高まり取材することに。「障害者は生きている資格がない、特に重度の知的障害者は税金の無駄遣い」と限定した植松受刑者の決めつけた発言に、危機感を持った。共に生きるとはをこの映画を通して問いかけたかったそうです。
私達の生きる原点が、盲ろうという障がいの中にこそつまっていました。人は独りではないことを教わる映画でもありました。
健常の私達の方が、時間に忙殺されている気がします。見えるものだけであーでねぇこうでねぇと文句を言ってるなあと自らの行いに反省しきりでした。
2本目は、「ニーゼと光のアトリエ」
1944年、ブラジルが舞台。女医ニーゼは、アイスピックが最新の治療としてもてはやされ、人間扱いされない精神病院に単身乗り込み、作業療法を確立する実話。彼らが自由に表現できるよう病室をアトリエに改造。彼らに絵の具や筆、粘土などを準備し、無意識の秘められた可能性を引き出すことに力を注ぐ。
治療でなく行動療法を施し、それぞれの秘められた過去の出来事が絵に表現され、最初は線だったものが、形になり、見事な芸術作品になり認められていく。退院できるまでに回復をとげるクライアントも出てくる。
女性蔑視な言葉も出てくるのは、時代背景だなと感じる場面も。当時、精神病院は隔離や拘束、電気ショックなどを治療と位置付けていたことで、長期入院を余儀なくされてきた。衝撃的過ぎて目をおおう場面もありました。
統合失調症であるがために、人間として扱われてない中で、一人一人の心と向き合うニーゼの献身的な姿。その無償の愛に人間らしく変わっていく課程に、人は心を開くことで、信じる心が芽生え開花していく。考えさせられる映画でした。日本も国策として精神病隔離の時代が今も色濃く残っています。
障がいを自己責任とする医学モデルから社会の側にある障壁を社会モデルに変えていくことがこれから必須です。現実から目を反らさずに、これからも真向かっていこうと思える時間でした。
ステキな企画をありがとうございました。予告編に「道草」が出てきました。こちらも観なくちゃ‼