「保護して」の言葉届かず。

2016年3月22日 00時00分 | カテゴリー: 活動報告

10363614_1570135233298644_7053819898002003180_n「保護して」自相に何度も訴え、自殺図った中二男子死亡の記事。
なぜ本人の訴えは受け入れられなかったのか。
尊いいのちが、奪われたのに、将来があったはずなのに、保護者は、何のとがめもなく今までと何ら変わらない生活を送ることができてしまう。

以前、虐待防止ネットワークの講座に参加したことがあります。
一番衝撃だった話は、むさぼるように給食を食べ、いつも同じ洋服で顔にあざもある状態で通学してくる児童に親の虐待とネグレクトに担任が気づき、養護の先生と協力し、朝はコンビニのおにぎりを購入し食べさせるなどし、虐待の事実をつかみます。
自相も入り母子分離が必要となり、児童養護施設にいくことになるが、学区が代わり学校を転校しなければならなかった。
児童は、担任や養護の先生、クラスのみんなと別れる
くらいなら、虐待されてもいいから家に戻ると告げます。
担任と養護の先生が定期的に面会にいく約束をし、児童養護施設に旅立っていきます。
加害者であるはずの虐待をしていた親は咎められることもなく何ら変わらない生活があります。
でも、虐待を受けた本人は、新たな場所で学校も変わらなければなりません。すべてをすてていくのです
弱い立場の被害者である子どもの言うことは、叶わない。母子分離も決してゴールではない。
やりきれない、理不尽さを感じます。